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札幌高等裁判所 昭和30年(う)306号 判決

控訴人 被告人 笠井達男

弁護人 坂谷由太郎

検察官 高田秀穂

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

原審における未決勾留日数中五十日を右本刑に算入する。

本件公訴事実中、強姦未遂の点は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂谷由太郎および被告人提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

右弁護人の控訴趣意第一点および被告人の控訴趣意(いずれも事実誤認)について

各所論は、原判示当時被告人と被害者西川秀子とは、いわゆる内縁の夫婦関係を結んでいたのであるから、かかる身分関係あるものに対しては、強姦罪の成立する余地なく、従つて、それにもとづいての本件恐喝罪の成立する理由もない。かりに然らずとしても、被告人には、本件各犯行についての犯意がなかつたものであるとして、いずれも事実誤認を主張する。

しかし、刑法第百七十七条にいう強姦罪の客体は、婦女たることを要し、又これを以て足り、その身分関係の如何は、同罪の成立には何等消長なきものと解するを相当とするから、各所論前段の主張は到底採用し得ない。

そこで、各所論後段について按ずるに

(一)原判決が判示第一事実として認定するところは、被告人は、昭和二十九年十二月下旬頃から西川秀子(昭和五年九月二十九日生)と慇懃を通じ、将来を誓い合つていたが、翌三十年二月上旬頃に至り、同女が自己と結婚する意思のないことを聞き知り、内心穏かならぬものがあつたところ、同三十年二月八日午前十一時半頃上川郡剣渕村元町の鉄道線路踏切附近を通行中の右秀子を認めるや、同女を伴い、同村栄町所在の旧杉浦木管工場宿舎佐々木某方茶の間に誘い込み、同日午後四時半頃までの間、或はその非を詰問し、或は懇請して同女の気持を確かめたが、遂に婚姻の意思なきことを知るにおよび、自己の純情をふみにじられたものと考え寧ろ同女を姦淫して欝憤をはらそうと決意し、嫌がる同女の手を掴み同所奥六畳の間に連行し、同女に対し「お前も俺にいたずらしたんだから俺もいたずらしてやるんだ」と申向け、同女を布団の上に仰向けに押倒し、その体に斜めに乗り、右手を同女の首の下に廻してその右手首を掴み、左手で同女のズボンをずりおろしその反抗を抑圧し、強いて姦淫しようとしたが、同女が容易に応じなかつたためその目的を遂げなかつたものであるというにありその挙示する証拠を総合すると、被告人に姦淫の意思のあつたこと、そのため西川秀子を原判示六畳間に連行し、そこに敷いてあつた布団の上に仰向けに押倒し、原判示のような行為に出たことは首肯し得る。しかし、右証拠中被告人および西川秀子の各調書ならびに検証調書を仔細に検討し、これに当審で取調べた証人西川秀子の証言を併せ考えると、被告人とは一ケ月余の期間ではあつたが互に将来を誓つて慇懃を通じ合い、一旦は心中までしようとした仲にあつた西川秀子がにわかに被告人をうとんじはじめたのに対し、被告人は、或はその理由を正し、或はその飜意を求めて同女と数時間に亘つて話しつづけたにもかかわらず、ついに同女の飜意を得られなかつたので、同女に対する最後の未練として右行為に出たものと見られないでもないこと、一方秀子においても、被告人と別れる気持になつたのは、もともと同女の友人からの忠告を信じてのことにすぎず、心底から被告人を嫌悪していたものとは認められないこと、されば、被告人の右行為に遭遇した同女は、これを極力避けようとすれば、同所から廊下一つ距てた隣室に脱出し、容易に救を求め得られる状態にあつたにもかかわらず、敢えてこの挙に出ることなく、単に身もだえ、言葉のうえで拒否しつづけてはいたが、被告人とはこれまでの関係もあり、いざとなれば身を委せてもよいと考えていたこと、しかるに、被告人は、たやすく秀子の言葉を容れて、更に進んで特別の姿態に出ることもなく同女を解放して、所期の目的を遂げようとしなかつたこと等が窺える。これ等の事実からすると、被告人の右行為は、秀子の抗拒を著しく困難ならしめる程度のものであるとは認め難く、寧ろ、同女が応ずれば姦淫しようとする程度のものに止まり、その応諾がないにもかかわらず、強いてこれを遂げようとする意思のもとになされた行為ではなく、従つて被告人には強姦の犯意がなかつたものとみるのが相当である。

(二)しかし、原判示第二および第三においては、原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は、前示の事情に藉口して夫々原判示のように申向ければ、西川秀子が畏怖して被告人の要求に応ずることを意識しながら、同女から原判示第二のようにして現金千円の交付を受け、同第三のようにして現金二千円の交付を受けようとして遂げなかつたことを認めるに足る。被告人の供述中右認定に反する部分は措信し得ず、その他記録を精査するも右認定を左右する証拠がない。

されば、原判決には原判示第二および第三においては事実の誤認ありとはいえないが、原判示第一においては、判決に影響をおよぼすこと明らかな事実の誤認がある。而して原判決は右判示第一の所為とその余の所為とを併合罪として一個の刑を科しているのであるから、全部破棄を免れない。結局論旨は理由がある。

よつて弁護人その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条により原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い当審において更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十年二月八日上川郡剣渊村栄町所在の旧杉浦木管工場宿舎佐々木某方茶の間において、折角将来を誓い合い屡屡慇懃を通ずる仲であつた西川秀子(昭和五年九月二十九日生)が、一ケ月余もたたないうちに被告人を見かぎる態度に変じたのを或は詰問し、或は懇請してその飜意を促すところがあつたが、同女にはついに被告人と婚姻する意思のないことを知るにおよび、未練の情愈々募り、一旦は、同女を同所奥六畳の間に連行し、同女に対し「お前も俺にいたずらしたんだから俺もいたずらをしてやるんだ」と申向け、同女を布団の上に仰向けに押倒し、その体に斜めに乗り、右手を同女の首の下に廻してその右手首を掴み、左手で同女のズボンをずりおろし、やがて応ずれば姦淫しようとしたが、同女の哀願もあり、被告人も亦強いて姦淫しようとする意思がなかつたのでこれを止めて再び前記茶の間に伴い来たつたものの、このまま同女との関係を絶つに忍び難く、寧ろこの機を利して同女から金員を喝取するにしかずと決意し、同女に対し「金を貸せ」「俺はお前を叩いたり、殺したりはせんが、お前が何処へ行つても精神的に苦しめてやる」「一万円都合してくれ」等申向け、前記行為の直後ではあり若しこの要求に応じない場合は、如何なる危害を加えられるかも知れない旨暗示して同女を畏怖させ、よつて即日同村南兵村二区の同女方前路上において、同女から現金千円の交付を受けてこれを喝取し

第二、翌九日以来連日に亘り、右秀子を訪れ、同女に対し「俺と一緒に行くか、それともおとしまえにするか」等と申向け、結婚しなければ金を出せと要求して同女を困惑させていたが、同月十三日同村栄町附近道路上において、同女に対し「おとしまえはぬきにして、二千円貸して呉れ、十一時までに駅に持つて来い、きれいに別れてやる」と申向け、これに応じなければ、如何なる危害を加えられるかも知れない旨暗示して同女を畏怖させて、金員を喝取しようとしたが、同女がこれに応じなかつたため、その目的を遂げなかつた

ものである。

(証拠の標目)

一、当審証人西川秀子の供述を追加したほかは、原判決摘示のとおりであるから、これを引用する。

(累犯となるべき前科)

被告人は、昭和二十七年九月六日札幌地方裁判所において窃盗罪により懲役一年の刑に処せられ、当時その刑の執行を受け終つたものであり、右の事実は、検察事務官作成の前科調書によつて明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法第二百四十九条第一項に、判示第二の所為は同法第二百四十九条第一項、第二百五十条に該当するところ被告人には、前示前科があるので、同法第五十六条、第五十七条により夫々累犯の加重をなし、右は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条、第十条、第十四条に則り犯情の重い判示第一の恐喝罪の刑に法定の加重制限をなした刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、同法第二十一条により原審における未決勾留日数中五十日を右本刑に算入し、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に従い原審ならびに当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととする。

本件公訴事実中、被告人が昭和三十年二月八日午後四時半頃上川郡剣渊村栄町所在の旧杉浦木管工場宿舎佐々木某方奥六畳の間で、かねて慇懃を通じ、将来を誓い合つていた西川秀子に対し、同女がわずか一ケ月余で被告人と婚姻する意思がなくなつたことに腹立て寧ろ姦淫をしてこの欝憤をはらそうと決意し「お前も俺にいたずらしたんだから俺もお前にいたずらしてやるんだ」と申脅し、布団の上に同女を仰向けに押倒し馬乗りとなり、右手で同女の右手を掴み左手で同女のズボンをずりおろし、その反抗を抑圧して強いて姦淫しようとしたが同女において容易に応じなかつたため、その目的を遂げなかつたとの旨の点については、前説示のとおり、被告人には強姦の犯意がなく、従つて罪とならないところ、右は判示第一および第二の各所為と併合罪の関係にあるから、刑事訴訟法第四百四条、第三百三十六条により、この点につき被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原和雄 裁判官 水島亀松 裁判官 中村義正)

弁護人坂谷由太郎の控訴趣意

原判決を破棄して相当な御裁判を求める。

一、原判決に事実誤認の違法がある。

(イ)夫婦という男女間の身分関係は所謂内縁の関係に過ぎない場合でも不正姦淫の観念を排否する(恐喝の点に付ても同様)。原判決によれば其の理由冒頭に述べられたように被告人と被害者と認められた西川秀子とは内縁の夫婦関係に在つたか什うかについて明確に説示してはいないが之れを否定した判断に拠るものと思われる。然るに、一、両人は昭和二十三年四月頃から交際があつた(秀子の言葉を借りると笠井被告人を知つていた)昭和二十九年末両人互にいんぎんを通じ将来を誓い合うに至る前二年間は被告人は村を出て居たので事実上交際は出来ないで居たものであるが両人は始めから恋愛関係にあつたことは充分推断し得る処である。二、右昭和二十九年末(十二月下旬頃)以来両人は夫婦約束を為し此の約束のもとに肉体関係を結んだ。三、秀子の父兄は右婚約を承認して居り又被告人は其の叔父等に相談し婚約は所謂公式に成立して居る。四、同棲生活については被告人の希望としては函館へ行つてくらす積りで既に住家を用意してあると決意を表わして居るし又旭川市に新婚旅行を為した。以上の如く両人は立派な現実の夫婦であり適式な結合体である。唯当時は婚姻届出をしていない丈で実質上の夫婦所謂内縁の夫婦であることは間違い無いのである。(西川秀子の証言調書64丁以下、瀬野順吉の検察官に対する供述調書被告人の司法警察員及検察官に対する各供述調書参照)尚前掲秀子の証言によれば両名は昭和三十年の正月に旭川市の旅館において心中相談をした事があり其の関係のかりそめのものでない事を教えている。又同証言中被告人の問に答えたものに「十一日に話した時(昭和三十年二月十一日=両人別れ話のあつた後の日)被告人に接吻した」事実がある。又検察官の問に答えた条に「分れ話を持出した理由は被告人に外の女が出来たので手を引く事にした」と言つて居る。これ等によつて西川秀子の婚約破棄の意思には多分の疑問符を発見されるし又婚約は一方的な破棄を許されない。被告人の気持も意思も所存も茲に在つたのである。

(ロ) 仮りに両人間に内縁の夫婦関係が認められないとしても被告人に秀子姦淫の犯意成立を認められない。前掲秀子の供述によると「被告人に布団の上に倒されたが其際被告人は斜めに自分(私)の体の上に乗り上つた」とか「被告人の足は其際自分の足の外側にあつた」とかの点と「其時私はズボンも脱がないし又釦も外さず何の用意もしなかつた」との被告人の供述部分を照合し且つ前述の如く被告人が秀子とは内縁の夫婦であると信じているものである事実を対照検討すれば被告人の姦淫犯意は認められないし、やがてその行為は秀子の分れ話を思い止ませる目的に仮用したものに過ぎないものである事も判断されよう。殊に秀子が其際「私が悪かつた謝まるから許してくれ」と言つたら被告人も「其真剣味を諒として」暴行を止めたという両者供述部分の画く情景は端的に之れを教えている処である。尚前掲瀬野順吉の供述によれば「秀子が岩坂道夫に頼んで被告人と手を切つて貰うとした事に不満であつた」と其の心情を吐露しているように秀子の進退があまりに軽はずみであり一方的な得手勝手過ぎて被告人を侮蔑した結果となつたので自然被告人の暴行(単独)を誘引したものであつて従つて原判決第一の事実に該当する被告人の行為は之れを取り上げた場合単なる暴行と見られる以外の何ものでもないのである。原判決は所謂「浮世の苦労」なる生きた現実に触れる処なしとの疑をさえ抱かしめる非妥当な判定と信ずる。其の第二、三の事実についても同旨同様であつて原判決の説示されたような犯罪事実は何れも認め得られない処である。

二、百歩を譲り本案件において原判決に係る事実の認め得られるべきものありとするも前項詳述の事情であつて科刑懲役一年は前科悪を考慮しても原審の量刑を相当とすることは出来ないものである。但し本項はあくまで附言として記述主張する趣旨である。

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